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会津若松市国際交流協会今月のコラム >旅はいつも幸せ気分

  • 若林美代さん 『国際交流バスは行く 〜400kmバスの旅』

     ペルーは日本の約3.4倍の広さの国ですが、鉄道はほんの一部にしかないので、国内の移動は飛行機か長距離バスが頼りです。インカの古都クスコからティティカカ湖畔の町プーノまでは珍しく鉄道があり、観光客向けの豪華列車が週に何便か走っていますが、 今回は途中のアンデスの村やインカの遺跡に寄りながら約400kmを9時間半かけて行くツアー バスに乗ることにしました。朝の7時半にクスコを出発したバスは、イケメンのガイドとお茶係の若い女性の2人つきなのに、シーズンオフとあって14人の客がパラパラと乗っているだけ。私たち以外の日本人は、やっと10日間の休みをとって、どうしても見たかった ナスカの地上絵を見に来たという大阪の20代男子。ボクも10日間の旅だよ、ときれいな日本語で話に加わったのは、ニューヨークから来たジョン君。10年ほど前、京都の大学で 留学生活を楽しんでいたそうです。 ちょっと目立っていた金髪の女性3人組はノルウェーから4週間のペルー旅行中という母娘と母親の友人。旅を楽しんでいる母親たちに比べ、パンクファッションで、まだ10代の娘 は何となく退屈気味。私たちが日本人と知って、日本っていい所よね、行ってみたいわと話しかけてきたのは、どこにでも座れるスツール(1人用腰掛)付きの杖を持ち歩いていたイスラエル出身のアメリカ人中年女性。いつも1人で歩いていたので一人旅かと思ったら、 「あそこにいるのが夫なの」と指す先には東洋人らしい寡黙な男性が…香港出身だそうで、バスの中ではちゃんと一緒に座っていました。

     ツアーも終り近く、遺跡の出土品を並べた小じんまりした博物館を見学した後、バスに戻ると、物売りの子供たちが数人、小物などを手にしてバスのまわりに集まってい ました。
    一番うしろに立っているやや年長の少年は何も持っていない物乞いらしく、包帯を巻いた手が痛々しい…誰もあまり気に止めずにバスに乗り込んだ時、スペイン人のミッキー・ カーチスそっくりの白髪まじりの男性が少年に近付き、「とっときな」とでも云うように小銭をそっとその手に握らせるのが見えました。さり気ない大人のふるまいに感心。 途中の雄大な風景や遺跡も素晴らしいものでしたが、ささやかな国際交流も楽しいバスツアーでした。

  • 『ペルー土産』

     旅の思い出に、写真とお土産は欠かせませんね。  買い物好き人間にとって、ペルーは宝の山みたいなところ。 ブランド品は他の国に任せておいて、自分の感性で美しいもの、楽しいもの、ちょっと変わったものを見つけるのが好きな人たちには、ここ掘れワンワンの土地なのです。
    2005年にトレッキングをした時、キャンプ地の食事のテントでガイドがいつもテーブルの 中央に置いてナプキン代わりに使っていたのが、可愛い犬のシルエットがプリントされた トイレットペーパーでした。山をおりて首都リマで大きなスーパーマーケットに入ると、 トイレットペーパー売り場の棚いちめんにその犬柄が並んでいたのです。他には無地があ るだけで、ごく普通の品らしいのですが、思わず買ってニコニコとトランクに詰めこんで 日本に帰りました。犬好きの友人や娘にもあげて「カワイイ!」と喜ばれた、とっても安いお土産です。
     もっと高価でペルーらしい特産品といえば、アルパカの衣類や小物たち。これもピンからキリまであり、リマには、鍵付きで客とわかればドアを開けて入れてくれる(買わないで帰りにくい)ブティックもあるし、現地に長く暮らしている日本人経営で、デザインも日本人好みの適正価格のお店もあります。
    なかでも印象に残っているのは、クスコ近郊をドライブ中に立ち寄った「ミラドール」 (眺望の良いところにある展望台)にポツンと建っていた一軒家。家の壁にバッグ類を吊るし、軒先の台にセーター類を並べて売っていました。絶景をバックに写真を撮っただけで立ち去ろうとした私たちを、旅行会社のドライバー氏の「ものはいいし、クスコの町な かで買うより安いよ。」のひと言がたちまち買い物モードに変えてしまい、5人のうち私を含めて3人がお気に入りのセーターを見つけて、日本円にして千円ほどで購入。
    むっつりと座って店番をしていた小学生の女の子が、私たちが買う気になったと知るやニコニコと働き始めたのも可愛いらしく、ちょっとチクチクする着心地が「アルパカ?」 とはいえ、今だに愛用のセーターです。

  • 『マチュピチュの歩き方〜その2』

    この連載を読んで下さっている会員の方たちから、「何回もペルーに行ってるんですね!」と言われるので、ここで正直に書きますと、1回目は2005年6月に16日間、2回目が2008年12月に21日間の2回訪れています。

     1回目はトレッキングが中心で、2回目はアンデス高地をのんびり回りました。何といっても広い国で移動にも時間がかかるので、まだまだ見ていないところは沢山(たとえば地上絵のナスカ)ありますが、 マチュピチュ遺跡には2回とも足を運んでいます。
     1回目はクスコ近郊から乗る列車を途中でおりて、インカ道をほぼ一日かけて歩いて行きました。 2回目はふつうのルートで列車とバスを乗り継いで再訪。雨期なので観光客はやや少なく、午前中は雨でした。そのうち雨がやみ、午後にはきれいに晴れ上がって、野生のウサギ(ビスカチャ)にも会うことができました。2時間ほどかけてガイドに引率されていくツアー客に比べ、自由な個人旅行の人たちは思い思いに草の上(よーく見ると、日本にもあるような雑草でした。)や石の遺構の上に座ってボーっと遺跡を眺めています。真似てみると、高い山に囲まれて外界から隔絶された特別な場所の持つ磁力が、少しは感じとれたような気がします。広い遺跡には観光客のあまり来ないエリアもあり、迷路のような石の壁を伝っていくと、断崖の上に出たり、屋根のない石壁だけの家の中に入って、住んでいた人たちに思いを馳せたりすることができます。

     ペルー政府の観光政策で、行くたびに高くなる交通費や入園料。しかしバックパッカーたちの口コミで、労力はかかるが費用はほとんどかからない方法があるそうです。そっと聞いてきたので、興味のある方にはお教えしますが、列車の線路をかなり歩いたり、標高差400mを一気に登ったりと、体力に自信のある方以外にはおすすめできません。

    注:マチュピチュの標高は約2,400m。インカの古都クスコの町は何と3,400m。遺跡が造られたのは15世紀半ば頃で、インカ帝国滅亡の1532年以降には放棄され、1911年にアメリカ人 H・ビンガムに「発見」されるまで、草木に埋もれていたと言われています。

  • 『マチュピチュの歩き方〜その1』

    世界遺産として人気の高いマチュピチュ遺跡へは、ふつうは列車とバスを乗り継いで行くのですが、列車を途中で降りてインカ時代に造られた山道を歩いて行く方法もあります。

       この「インカトレイル」のトレッキングは人気があり、1日に歩く人数の制限もあって、必ず ガイドを同行しなければなりません。最も本格的なトレッキングは3泊4日で、食料やテントを 運ぶポーターたちが付くそうですが、私たちが選んだのは約7Kmの最短日帰りコース。
    それでも 日本語、英語、その他の外国語も話せるというガイドと、お弁当を運んでくれる、まだ10代のポーター付き。

       断崖にへばりつくようにして延々と続く石畳の道は高低差もあってかなりハードなので、マチュピチュ遺跡を一望できる「太陽の門」についた時は、膝がガクガクしていました。
    夕方に近く、ななめに射す太陽の光に照らされた遺跡の眺めは感動的でしたが、あとでこの時の写真を見たら、まさに「もぬけの殻」という表情でした。遺跡見学は明日なので素通りしてバスに乗り、約25分のふもとの村に泊りました。「ゆっくり歩きます。」と言いながらどんどん先に行ってしまう健脚ガイドも一緒にバスに乗って帰りましたが、最後尾を荷物をかついでついてきてくれた少年ポーターは、バス代を節約し、 何と歩いてふもとの村へ(そしてもっと離れたところにあるという自分の家まで)帰ると言うのです。

      外国語ができないとお金を稼げるガイドにはなれない、というポーター君に皆でチップをあげましたが、彼が学業を続けて、ちゃんとしたガイドになれることを祈るしかありません。


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